こんにちは
明後日から3連休ですね。いかがお過ごしでしょうか。
明日は天気が荒れる、と予報が出ていますが連休中はカラッと花粉すっきり気持ちよく過ごしたいですね。
さて、3月下旬になりつつある中で、市場の方もアスパラガスやふき、たらの芽が並んでいるところを見て
「すっかり春になったなぁ!」と言っていました。
そんな市場の春を感じながら、今年こそはふきのとうの天ぷらを食べてみたいな、と思いました。
お母さんかおばあちゃんに揚げてもらいたいです・・・。新玉ねぎの時期には新玉ねぎと桜海老のかきあげも食べたいな。
みなさんは誰かに作ってもらいたい食べ物はありますか?また、誰かに食べさせてあげたい・共有したい食べ物はありますか?
毎日3回食事を摂る中で、毎回献立を考えて作るのは大変ですし、食べたいものが浮かばない、なんでもいい、という時もあるでしょう。
それでもお腹がすいたら、何かを食べたり、飲んだり、食事の準備をします。農家は野菜や果物、米、肉、魚を作ります。生きていく限り、何かを食べないといけませんから。
このように考えると、「食べる」行為は明日を期待して行う行為であり、食べ物を作ることは未来への投資なんだと受け取れます。だから半年以上も前から土の手入れ、育苗、草取り・・・など地道な作業を黙々と行える、大切な行いだと考えられるのでしょう。結果的にお金を生み出す行為でありますが、そこにはお金以上の価値があるように思います。そんな色々な思いがこめられた作物を私たちは頂いています。「1粒の米にも百姓の魂が」と言いますもんね。1粒のお米が成長するとお茶碗約1膳分のご飯が収穫できます。そう考えると1粒残さず大切に食べたいですよね。世界の食糧事情を思うとなおさらです。
中には「食べる」ことに興味がない方もいらっしゃると思います。悪いことではありませんが、私たちは自分たちの食べたもので自分の身体を作っています。とってもおおまかに分かりやすく言うならば、みかんを食べ過ぎると手が黄色くなるとか水分を取りすぎるとお腹がちゃぷちゃぷ鳴るとか、筋肉を作りやすくするためにたんぱく質(プロテイン)を多く摂るとか、妊娠中のお母さんの食事制限とか。書籍やインターネットでも食べ物での体質改善やダイエットなどが尽きることなく載っていますね。
自分の身体を作ると言っても普段はそんなこと考えません。さらに1人で食事をしていると「自分しか食べない」ので、いくら健康のことを考えていても自分が食べたい食材を自己流レシピでバランスをとっているつもりの献立の自己満足の食事になりがちですし、ストレスによるやけ食いや拒食にもなってしまいます。(みんながみんなそうだとは思いませんが、悩んでいる方も多いと思います)
なので、自分自身の「食べたいご飯」ではなく、自分が「自分自身に食べさせてあげたいご飯」を意識して作ってみると「誰かのため」と脳が思い込み、食事や食事から得られる幸福感も変化が見られるかもしれません。
私自身、こんなに前向きに食事ができている訳ではありませんが、今晩から「自分に食べさせてあげたいご飯」を意識しながら作り食べていきたいなと思います。
今回は私の思ったことをつらつらと書きましたが、みなさんは「食べる」ことをどのように考えますか。1日3回、80歳まで生きたとすると約88,000回も食事をします。人間は人生の半分をベッドで過ごす、とも言われていますが、同様に人生の半分を食べているのかなぁ、とぼんやり思いました。
4月から新生活を始められる方も多いと思いますが、みなさんにとって幸福な食卓が始まりますことを願っております:-)