会社の沿革

弊社は、関連会社(株)コスモンの前身であります(有)八百芳商店より50数年にわたり青果物を中心とした食品卸として携わってまいりました。秀峰赤城山をバックに、南に利根川を望む風光明媚な群馬県伊勢崎市に昭和22年、故藤生芳雄により会社組織と致しました。昭和57年5月地方卸売条例制定に伴い、伊勢崎市公設市場開設と同時に会長 藤生政雄が(株)藤生を創設、青果仲卸第一号として許可され、平成9年には東京営業所を構え、全国の市場からの青果供給を可能にした体制を確立、平成12年には減農薬特別栽培生産者育成と充実、優れた配送機能を併せ持った(有)片貝鮮農の稼動により文字通りの「産地直送」を実現いたしました。

昭和20年代
創業当時の写真
昭和30年代~40年代
八百芳商店の店先風景
昭和40年代後半~50年代
当時、画期的なスーパーマーケット形式の
ニュー八百芳

藤生グループの歩み

昭和4年4月 藤生幸次郎(藤生芳雄の父)が農家の収穫物を地方へ送っていたのが始まりで、藤生芳雄(前会長)が13歳から手伝いをするようになり、その後兵役につき4年間外地等に行き中断となる・・・
昭和22年5月 藤生芳雄が伊勢崎市錦町(現中央町9-17)に八百芳の看板を出し創業、青果物を一般消費者に販売。
昭和33年1月 藤生芳雄が有限会社八百芳商店を設立、代表取締役に就任。 資本金 180万円
昭和35年4月 藤生芳雄 群馬県青果市場協会(5市連合会)会長に就任。(昭和45年までの10年間)
昭和39年12月 藤生政雄(現会長)が(有)八百芳商店に入社。
昭和43年10月 佐波郡東村大字東小保方北野に漬物工場建設。本格的に漬物製造販売する。
昭和45年4月 伊勢崎市中央町10-1(中央町9-17の道路を隔てた真ん前)の店舗を購入。
昭和45年9月 上記の店舗をスーパーマーケット形式のニュー八百芳(総合食品小売業)として開店する。
昭和50年5月 ニュー八百芳店舗増改築。
昭和54年4月 伊勢崎市東本町87-22に魚のパック工場用土地(465㎡)購入。
昭和54年4月 伊勢崎市中央町11-5(112.71㎡)魚の加工場新築。
昭和56年4月 伊勢崎市東本町に魚のパック工場(建物面積199.35㎡)建設。
昭和57年4月 藤生芳雄が伊勢崎市公設市場の丸統伊勢崎青果(株)代表取締役会長就任の為、代表取締役を辞任し、代わって藤生春枝が就任する。
昭和57年5月 藤生政雄が青果物卸部門を伊勢崎市日乃出町702伊勢崎公設市場内に別法人(株)藤生として独立させる。
昭和57年11月 スーパー部門ニュー八百芳を閉鎖。(青果物仲卸業務に専念となる)
昭和58年7月 伊勢崎市東本町に事務所・休憩室を新築。
昭和59年11月 藤生芳雄会長 農林水産省食品流通局長賞を受賞。
昭和62年6月 東共栄食品として漬物加工部を独立させる。
平成元年5月 (株)藤生 大同営業所開設(群馬大同青果内)
平成5年5月 (株)藤生前橋営業所(前橋青果内)・大宮営業所(大宮中央青果内)を開設。
平成6年4月 株式会社コスモンに組織変更 藤生政雄 代表取締役に就任。
平成6年8月 伊勢崎市東本町より佐波郡東村(伊勢崎公設市場前)へ新社屋を建設し、(株)藤生事務部門を移転、1階部分を(株)コスモン工場とする。
平成7年3月 藤生浩道が(株)藤生に入社 東京中央青果(現シティ青果)へ派遣研修。
平成9年4月 (株)藤生 大宮営業所閉鎖。翌月に東京営業所を開設する。
平成12年7月 (株)藤生伊勢崎本社(外食納品部門)と大同営業所を前橋青果隣接地 (有)片貝鮮農内に統合 片貝営業所とし、仲卸店舗売り部門を伊勢崎営業所とする。
平成15年1月 片貝営業所に前橋営業所を統合 (株)藤生総合営業所とする